ごまめの旅日記

街道等の歩き旅を中心に旅の記録を紹介します。

札幌市の洋館探訪その2

今回は、札幌市内の古い洋館の探訪の記録を紹介します。だいたい大通公園付近です。

訪問日 5月21日

自転車で回ろうと思っていましたが、あいにく雨模様で、歩いて回ることにしました。

 

北海道庁旧本舎

 札幌市の洋館として真っ先に思い浮かぶのが北海道庁の旧本庁舎ではないでしょうか。

 ホテルから歩いて旧庁舎に到着。しかし、残念ながら工事中で見ることができませんでした。赤煉瓦庁舎は、1888(明治21)年に北海道庁庁舎として建てられた煉瓦造りネオバロック様式の洋館です。1969年に重要文化財に指定されています。

工事中の旧本庁舎

これは、2018年に訪れた時のものです。

2018年8月撮影

 

次は、北海道大学植物園に行きましたが、まだ開園前で入園できませんでした。

 

札幌市時計台

 次は、札幌市時計台へ行きました。30年前に訪問したときは、ビルの谷間に埋もれていて、隣のビルのベランダから見たような気がします。今回は外観がよく見えるような気がします。(周辺が変わったのかな?)

 今は時計台として有名ですが、もともと、札幌農学校の演武場として1878年に作られた建物です。当時は時計台はなく、1881年に時計塔が設置されたとのこと。それでも、日本最古の時計台とのことです。札幌農学校はもともとこのあたり、つまり市役所、市民ホールの北側一体にあり、演武場は、北側の時計台ビルのあたりにあったようです。演武場は、式典の会場として使用されており、新渡戸稲造内村鑑三はここで卒業証書を受け取ったということです。時計台は白壁の赤屋根のイメージがありますが、元は、壁が灰色だったらしいです。現在は薄い緑色に見えますが気のせいでしょうか。

 ちょうど、8:30の開館時間となったので入館しました。1階は農学校に関する展示、2階は、演武場の講堂が再現されています。全面のステージの上には、クラークの像がすわるベンチがあります。後方には時計台の仕掛けがありますが、よく見えません。脇に実際に動く時計の模型があります。シンプルな構造に感銘を受けました。

 

 

創世川と札幌教会

 時計台から東に行くと創世川があります。ここ、北1条西1丁目付近は、札幌本府建設の際に

箱館奉行所蝦夷地開拓掛・大友亀太郎の役宅が札幌村から移されたところです。(現在の元町付近には「札幌村」というのがあったそうで、ちょっとややこしいですね。)

 創世川は、大友亀太郎が開削した大友堀を前身とする人口河川です。かつての大友堀は現在の南4条西4丁目付近で豊平川の分流から水を引き、まっすぐ北に伸び、現在の札幌駅付近から北東に向きを変えて、現在の北13条西16丁目の大友公園付近で豊平川の旧河道である伏龍川に注ぐものであったそうです。

 創世川を渡ってすぐ左折し、創世川通りを北へ少し行くと右手に日本基督教団札幌教会があります。この教会は、札幌農学校の第一期生たちがクラーク博士らに感化されてキリスト教の礼拝を受け、1889年に「札幌メジスト教会」を設立したのが始まりとのことです。最初の教会堂が近隣の火事で焼失したため、1904(明治37)年に建設したのが現存する石造の礼拝堂です。札幌軟石(札幌市南区で採れる凝灰岩)で造られたロマネスク様式(一部ゴシック様式)の礼拝堂で登録有形文化財となっています。コンパクトだが、瀟洒で美しい建物です。

札幌教会礼拝堂

 

中島公園豊平館

 この後は、地下鉄で中島公園まで行き、豊平館(ほうへいかん)を見学することにしました。豊平館は、北海道開拓使が、来客を宿泊させるホテルとして1880(明治13)年に現在の市民ホールの場所に建設したものです。その後は次第に公会堂としての利用が増えてきたのだが、大正期に入ると公会堂としては収容力の少なさが問題となり、1927(昭和2)年に、北側に新公会堂ができます。戦中は陸軍に、戦後は米軍に接収されたが、1947(昭和22)年に公民館として復活します。1958(昭和33)年には中島公園に移築され、結婚式場として親しまれたそうです。

 地下鉄東西線の大通駅から10分ほどで中島公園駅に着きました。地上に出ると中島公園は、豊平川豊平川の分流で現在唯一残っている鴨々川の間の中洲にります。1886(明治19)年に公園に集会機能を持たせた「中島遊園地」として設置されたのが始まりだそうです。1910(明治42)年に長岡安平に設計を依頼した公園が完成し「中島公園」となります。よく整備され、広々とした都市公園です。このような公園がある街が羨ましい。

 駅入り口から南に進むと左手に菖蒲池があります。園内にはライラックの花がちょうど見頃でした。大きな藤棚をくぐってさらに進むと右手に豊平館があります。白壁に屋根、柱、窓枠がウルトラマリンブルーと呼ばれる青色に塗られた美しい洋館です。内部は赤い絨毯が敷かれた小部屋とある程度の大きさの広間があります。美しさは全国有数だと思います。

 豊平館の脇には日本庭園があります。この中には小堀遠州が近江に建設した茶室「八窓庵」が移築されています。小さいが美しい庭園です。ちょうどツツジの花のシーズンで、いたるところに花が咲き誇っていました。

豊平館

八窓庵 洋館ではありませんが

 

 

北菓楼札幌本館

 地下鉄で大通駅に戻って、札幌ラーメンを食べました。札幌はラーメン屋とジンギスカンの店が多いようです。

 そして次は、大通公園の北側にある北菓楼札幌本館へ行きました。北菓楼は北海道砂川市にある菓子メーカーで、北海道産の原料を生かした製品を販売しています。その札幌本館の店舗は、1926(大正15)年に竣工した「北海道庁立図書館のファサード」を保存しながら再生した建築です。

 「北海道庁立図書館」は摂政宮(後の昭和天皇)行啓記念事業として建てられた北海道初の本格的な図書館です。図書館として昭和42年まで使用された後、北海道立美術館(後に道立三岸好太郎美術館)となり、その後昨年まで道立文書館別館として利用されてきました。

 通り(南側と西側)に面するレンガ造の外壁と玄関ホールを補強・保存し、その他は全て新しい建物に建て替えているそうです。お店では美味しそうな油で揚げた餅が売っていたので、1つ買いました。

 

札幌市資料館

 その次に向かったのは、大通公園の西の端にある札幌市資料館です。この建物は1926(大正15)年に札幌控訴院として建てられたもので、下部構造は鉄筋コンクリート、その上に煉瓦を積み、外壁は札幌軟石でできています。裁判所らしい重厚な建物であり、前面には、法の女神と平等を表す「秤」、正義の剣が彫刻されています。戦後、裁判所が移転した後、札幌市の文化資料室、考古資料室、文学館として利用されてきました。現在は、札幌市の歴史についての展示と、ミニギャラリー、おおば比呂志記念室、研修室となっています。こんな建物を市民が使えるなんて羨ましいですね。

 

 

清華亭

 だんだん疲れてきたので、次は線路の北へ行き、清華亭に行って、ホテルに戻ることにします。清華亭は、北海道大学の南側、かつての偕楽園の中にある建物です。5年前にも訪問しました。

 偕楽園は、1871(明治4)年に開かれた日本で最初の都市公園です。園内には農業試験場、博物所、競馬場などたくさんの施設がつくられました。清華亭は、1880(明治13)年に貴賓接待所として造られ、翌年の天皇行幸で小休所として利用されました。その後、園内の施設は園外へと分散し、園は1898(明治31)年に民間に払い下げられ、私有地化しました。昭和初期には、天皇ゆかりの地を聖蹟としようとする運動が高まり、国の史跡となりました。現在は修復を受け、市の有形文化財となっています。

 建物は木造で、外観は洋風だが内装は和洋折衷です。入館すると担当の人が案内してくれました。



 本日の市内観光はこれで終わりです。この晩はJRタワーに上って夜景を見ました。明日は天気が回復しそうなので、羊ヶ丘に行こうかと思います。

札幌市の夜景 JRタワーから大通り方面