ごまめの旅日記

街道等の歩き旅を中心に旅の記録を紹介します。

水戸街道を歩く 1 日本橋〜亀有駅

旧街道を歩いている人も少なくないと思います。私もその一人です。

 東海道中山道日光街道の情報は、本が出ていたり、HPができていたりで数多く目にすることができますが、五街道でも奥州街道白河以北甲州街道となると情報が少なくなります。また、五街道以外では、情報がグッと少なくなります。

そこで、あまり情報がない街道について調べ、情報を提供していきたいと思います。

 

はじめに水戸街道から紹介します。順次、別の街道も紹介していきたいと思います。

第1回は、日本橋から常磐線亀有駅までです。

歩いた日は令和6年4月2日(火)

 水戸街道は、日光(奥州)街道・千住宿から東へ分かれます。日本橋から千住までは、以前、奥州街道の旅で一度行っているので、千住宿までは簡単に紹介します。いずれ、この区間の詳しい紹介もアップしていきます。

 日本橋スタートは、令和4年の8月以来1年半ぶり、日本橋から北へ行くのは、平成29年8月以来6年半ぶりということになります。いつものように東京駅から日本橋へ。桜が咲き始めた日本橋をから、北へ向かってスタートを切りました。時刻は午前9時。

 

 

室町から浅草へ

 日本橋界隈は、おそらく変化はしているのでしょうが、変化がよくわかりません。国道14号、17号併用道路を北へ進み、室町3丁目南交差点で右折して旧日光街道に入ります。交差点の左前のかつての十軒店があったところは、6年前は工事中でした。現在は、巨大な日本橋室町三井タワーが建っています。三井のタワーが南北に2棟連なっていることになります。旧日光街道を東へ進み、昭和通りを地下道で超え、大伝馬町、横山町と進み浅草橋交差点にでます。あとは国道6号線をまっすぐ進みます。(上記の地図を参照してください。)

新しく建設された 日本橋室町三井タワー

 アパホテルがやけに目につきます。大きく店舗数を増やしたのではないでしょうか。

 駒形橋西詰交差点からまっすぐ北へ伸びる並木通りに入ります。正面は雷門。この辺りは、観光客が非常に多いですね。

浅草〜南千住

 雷門の前を右折して吾妻橋交差点に出ます。正面には大きく東京スカイツリーが聳えています。ビルに隠れて見えにくい東京タワーと違い、スカイツリーはいろいろなところから見えます。 

 吾妻橋交差点から再び国道6号線を北西に向かいます。東武線のガードを潜って進み、次の言問橋西交差点から北へ進む国道464号線が日光街道です。

 待乳山聖天(まつちやましょうでん)に向かいます。家康が江戸の町を開発する前からあると言われる古い寺院で、隅田川のほとりに小山があって、そこに造られたようです。お印は大根と巾着。大根は身体健康と夫婦和合の、巾着は財福のシンボルということです。たまたま1月7日の大根祭りにお供えされた大根が振舞われていましたので、小さめのものを1つ頂きました。石段の西側には池波正太郎生誕地の表示があります。

 

待乳山聖天

 今戸橋跡から山谷堀の跡にできた山谷堀公園を通って、国道464号線に戻ります。

山谷堀日本堤を作るための土砂を得るために掘られた堀で、石神井用水の水が流れ、隅田川に注いでいました。吉原へ向かう旦那衆は、猪牙舟隅田川から山谷堀に入り、地方橋あたりで下船して吉原に向かったらしいです。そんな優雅な旦那衆になりたかったな。

 国道464号を北へ進みます。泪橋交差点を過ぎて国道は地下に潜り込むので、側道を詰めて歩道橋で操車場の線路を越え、南千住駅入り口に降ります。左手に首切り地蔵があります。つくばエクスプレス常磐線のガードをくぐると左手に回向院があります。そのまま直進すると国道4号線に突付きます。正面に素盞嗚神社があります。桃の花などが咲き、美しく整えられています。

 

千住宿

 4号線を進むと千住大橋があります。橋の手前に大きな「八紘一宇」の石碑があるが、よく見ると林銑十郎の揮毫です。林銑十郎は、満州事変の時に軍令を待たずに朝鮮から鴨緑江を渡って満州に入った朝鮮派遣軍の当時の司令官です。その後、陸軍大臣、1937年に内閣総理大臣を務めました。石碑は1940年の紀元二千百年記念行事の一環として建立されたものです。当時、林は内閣参議でした。

 千住大橋を渡ると左手に、芭蕉奥の細道の旅で下船したといわれる千住の船着場があります。この先は、4号線から右手に外れ、足立市場入口からやっちゃ場通りに入ります。かつての青果市場があったところです。千住宿歴史プチテラスが当時の面影を今に伝えています。

 北へ進むと墨堤通りと交差します。この通りは、かつての隅田川の堤防の跡です。この源長寺前交差点から先が千住宿です。長さ9kmにも及ぶ長大な宿だったらしいです。東海道品川宿中山道の板橋宿、街道の最初の宿はどれも大宿です。旅人が泊まるだけではなかったようです。

 次の大踏切通りも堤防の跡。この交差点の右手には一里塚跡の碑があります。交差点を過ぎると「千住ほんちょう商店街」です。左手の足立成和信用金庫の入り口には金色の芭蕉像が立っています。ここは、かつて南足立郡役所跡です。かつての足立郡は、入間川(現在の荒川・隅田川)と元荒川(現在の中川)に挟まれた地域です。千住は今は荒川区ですが、かつては足立郡でした。元荒川と古利根川(現在の中川)に挟まれた地域が埼玉郡古利根川以東は葛飾郡でしたが、現在は荒川(新しく開削された川)が区境です。この辺りの河川改修の歴史は複雑で、よく理解できません。

 商店街を進み、北千住駅に近づくと右手にタワーマンションが聳えています。「カノン千住」といって6年前に通ったときには工事中だったところです。

 ビルの北側には、森鴎外旧居跡」の表示があります。ここは、鴎外の父・森静夫が開業した橘井堂(きっせいどう)医院があったところで、鴎外は、大学卒業からドイツ留学を経て、結婚して根岸に移るまで、ここに居住していたとのこと。そもそも「鴎外」とは「鴎の渡し」の外ということで千住を意味しているそうです。千住には愛着があったのでしょう。

 

森鴎外旧居跡の碑

 先に進むと北千住駅前通りを横切ります。ちょうど昼時のためか、大変な人出です。この先は宿場町通りというらしいです。左手の「そのうビル」の前、宿場町通りのゲートの柱の脇に小さな「本陣跡」の石碑がありました。

 賑やかな商店街を進み、右手にほんちょう公園、横山家住宅を過ぎて、次の交差点が日光街道と水戸・佐倉道との追分です。交差点の角に道標が建っています。

 

 

日光街道・水戸佐倉道追分の道標

荒川を渡る

 交差点を右折して、狭い一方通行の道路を抜けていくと、正面に鉄道のガードが見えます。下をくぐる道があるのでそこを抜けると二股に分かれますが、水戸街道は左です。

 その先に清亮寺があります。当時は寺の門の前に見事な松があり、街道に枝を伸ばしていたそうです。大名行列で槍が通れないので切ろうとしたところ、水戸光圀が、ここで休憩したことにして槍を立てかければ枝を切らずに済むと言ってそのままにしたそうである。槍掛松と呼ばれていました。

 その先は荒川の土手に突付きます。もともと荒川はなかったので、田んぼの中をまっすぐ小菅村方面に進んだのでしょう。現在は、大きな荒川で寸断されています。橋がないので、北の千住新橋か南の堀切橋のどちらかに迂回するしかありません。(汗!)

 千住新橋は6年前に渡ったので、堀切橋を渡ることにします。2km以上の遠回りです。ちょっと複雑ですが、迂回路を詳しく示します。

 土手の上を進むと対岸の綾瀬水門が見えます。そのまま進むと東武線の線路で遮られて堀切橋に行けません。やむなく土手を降りて下の道を行き、堀切橋を通る国道314号線も潜って南側から堀切橋に入ります。荒川を渡り、綾瀬川を渡る手前の信号で北へ行きたかったのですが、道がないので南に行って、無理矢理土手を降りて堤外の道に入り、北へ進みます。綾瀬水門を渡り、土手の上を進みます。このまま行ってもよかったのですが、水戸橋の跡に行きたかったので、小菅西公園を通って正覚寺のところに出ます。正覚寺は、日本で最初の公立の小学校である小菅小学校があったところです。小菅小学校は、学制発布より前の明治2年小菅県が設置したものです。

 

堀切橋

 首都高速道路のガードの下を行って、少し北に行ったところに水戸街道の水戸橋の跡があります。現在の水戸橋はそれよりやや北にあります。これで綾瀬川を渡ります。

小菅〜亀有駅

 首都高速のガードを潜ると東に道が伸びています。これが水戸街道です。住宅街を進みます。すぐ北側には古隅田川があり、緑道が設けられています。古隅田川の起点は春日部市に、綾瀬川の起点は桶川市にあります。この辺りの河川は、付け替えを繰り返して、江戸時代とはかなり違ったものになっています。前述した通り、変遷を調べようとしても複雑でよくわかりません。

 狭いが割と交通量がある道を進み、大きな交差点は小菅3丁目交差点。ここを過ぎると住所は堀切となります。直進し、次の信号で左に入って進むとやがて西亀有地区に入ります。ずっと住宅地です。

 同じような住宅地が続き、西亀有3丁目交差点で江北橋通りに出ます。左手に旧水戸佐倉道の道標があります。そして江北橋通りを西へ進みます。亀有駅に近づくにつれて商店も多くなってきます。亀有4丁目交差点からは亀有地区に入る。本日の街道歩きはここまでとし、亀有新道を北へ行き、亀有駅に向かいました。

 

亀有駅

 亀有駅周辺は、漫画「こちら亀有公園前派出所」に登場するキャラクターのフィギュアが随所に配置してあります。かつても話題となりましたが、「亀有公園」はありますが「公園前派出所」はありません。

 南口の正面には両津勘吉中川圭一秋本麗子のフィギュアが並んでいます。北口には制服姿の勘吉の像が、南口のリリオパークの前にはハッピ姿の勘吉の像があります。また、駅前交差点の宮前通りに入ったところには中川の像があります。周辺にはこれ以外にもあるらしいです。

 亀有駅緩行線のホームしかない快速が止まらない駅ですが、乗降客が多いです。ここから電車で帰宅しました。

旅の記録

令和6年4月2日(火)

スタート 日本橋    9:05

ゴール  亀有駅入口  14:10

歩いた道のり      約20km