ごまめの旅日記

街道等の歩き旅を中心に旅の記録を紹介します。

羽州街道を歩く 番外編 3  鳥海山 象潟

令和5年 8月1日(火) 晴れ 雲やや多し 暑い

 3日目。本日は、レンタカーを借りて、鳥海山から象潟方面へ行ってみることにします。荷物をまとめて若葉旅館を後にし、徒歩で3㎞ほど離れた東酒田駅近くの「にこにこレンタカー」の営業所に向かいます。そこで、トヨタパッソを借りて、庄内北部に向けて出発しました。

1 城輪柵(きのわのさく)

 はじめに向かうのは平安時代の遺跡、城輪柵です。1931(昭和6)年の文部省の調査により、この地の柵の存在が確認されました。大和朝廷は東北地方の平定を進め、712年に出羽国を創設。その前後に、出羽国国府として出羽柵が設けられたと考えられています。出羽国国府は、733年に出羽柵から秋田柵へと移されましたが、その後、蝦夷の反乱で押し戻され、ここ城輪柵が造られたと考えられています。
 現在は、一辺約720メートルの築地塀で区切られた正方形の外郭と、その中央に一辺約115メートルの築地等で囲まれた政庁(内郭)部分によって構成される総面積52万平方メートルの遺跡となっています。庄内平野の中では北部の扇状地上に位置しています。周囲は田んぼが広がっています。鳥海山は残念ながら雲に隠れています。

城輪柵跡

2 鳥海山

 次に、鳥海山を登る鳥海ブルーラインを目指します。「こばえちゃんライン」を北進し、遊佐駅の南へ、ひたすら田んぼの中を行きます。遊佐駅南から国道345号線で北進し、国道7号線に合流して「道の駅鳥海」で休憩、その先からブルーラインに乗ります。久しぶりの山岳ドライブ、かつ、慣れない車なので慎重に進みます。残念ながらガスが多く、眺望はそれほど期待できそうにないのですが、カーブを重ねていくと山の気分が濃くなっていきます。

 

 大平山荘下の大きな駐車場に車を停めますが、他に誰もいません。大平展望台に登るとうっすらと酒田方面の砂丘や象潟方面が望むことができました。しかし、鳥海山の山頂は雲に覆われているままでした。先に進むと秋田県に入ります。

 

大平山荘下駐車場より鳥海山山頂方面

大平山荘下駐車場より象潟方面を望む

 


3 元滝

 鳥海山は、富士山と同様、大きな水瓶です。至る所に伏流水が流れ出ています。その一つである元滝に行ってみることにします。ブルーラインが集落に下りるあたり、象潟病院のところで左に入り、元滝川を少し上流へ進むとすぐ駐車場があります。そこに車を停めて元滝川に沿って歩きます。元滝からの水がいくつかの水路に分かれて勢いよく流れています。水に触れてみると、とても冷たくて気持ちがいいです。10分ほどで元滝に至ります。崖の間や大きな岩の下から水が勢いよく噴き出しています。鳥海山の水は、庄内平野の米作りに欠かせないものなのでしょう。

 

4 象潟

 この後は、ここから県道58号線に入り、国道7号線に戻って象潟を目指しました。「道の駅象潟ねむの丘」に車を停めて、昼食と象潟の散策を行うことにします。

象潟ねむの里から象潟・鳥海山を望む

象潟ねむの里から北方を望む


 象潟は、かつては、八十八潟九十九島と呼ばれ、潟湖の中に多数の小島が浮かぶ景観で、松島と並ぶ景勝地でした。九十九島は紀元前に鳥海山が山体崩壊を起こし、現在の白雪川に沿って多量の土砂が流出した際に造られた流れ山地形です。仁賀保駅周辺にも同様の流れ山地形が見られます。八十八潟は、元は入江だっところに流れ山が入り込み、後には海岸線に砂洲ができて入江が潟湖となり、松島のような景観となったと考えられます。

 古代から知られた景勝地で、能因や西行もここを訪れています。「象潟の 桜は波にうづもれて 花の上漕ぐ あまの釣り舟」西行の歌です。

 芭蕉一行は、6月15日(新暦の7月31日)に酒田を発ち、羽州浜街道を通って、象潟を目指しました。吹浦(ふくら)で1泊し、16日(8月1日 本日!)に塩越(現在の象潟1丁目塩越)に到着。17日に蚶満寺(かんまんじ)に詣でて、舟で島めぐりをしました。そして18日に海上を行く船で酒田へと戻っていきました。「象潟や雨に西施(せいし)がねぶの花」この時の芭蕉の句です。

 象潟は、徐々に陸地化が進行し、陸地となったところや山を崩して近隣の農家が耕地化していきました。そして、芭蕉が訪れてから100年余り後の1804年に象潟地震があって土地が隆起し、完全に陸地化しました。

 舟で巡ることはできなくなりましたが、ミニ松島のような景観は健在と言って良いでしょう。ねむの丘の展望台から見ると確かに海に浮かぶ小島のように見えます。

 海の方は完全に晴れていますが、鳥海山の方は、ガスがかかっています。芭蕉は雨の景色と晴れの風景の両方を見たようですが、雨の象潟も風情があるだろうなと思いました。

 全部は見られませんが、少し島めぐりにいってみようと思い、道の駅に車を停めたまま、徒歩で蚶満寺(かんまんじ)に向かいます。踏切を渡ると駐車スペースがありました。ここまで車で来ればよかったです。

 蚶満寺は寂れた感じです。庭園に入るのに入園料を取られましたが、大した庭園ではありません。蚶満寺の創建は853(仁寿3)年、慈覚大師円仁(平安時代の高僧、天台座主)が象潟の景観の美しさと神功皇后の由来から霊地と悟り開山したのが始まりとされます。

蚶満寺山門

 

九十九島の中の1つ

 ここから遊歩道が造られていて、徒歩で島めぐりができるようになっています。遊歩道を少し歩いてみます。駒留島に登ってみると田んぼの向こうに鳥海山が見えますが、やはり山頂が雲に隠れています。その後いくつかの島を見て、蚶満寺に戻ってきました。

 そして、道の駅に戻り、象潟を後にしました。


5 三崎峠 吹浦

 次に目指すのは、吹浦(ふくら)にある「十六羅漢」であす。国道7号線を南下すると、秋田県山形県の県境に三崎峠があります。鳥海山の溶岩が海岸線まで達しているところで、浜街道の難所の1つとされていました。
 芭蕉一行は、酒田を発って、吹浦で1泊した後、ここを越えて象潟へと向かっています。当時のルートは、現在の国道より東の溶岩台地に駆け上がるものだったようです。雨に降られ難儀したことが曽良随行日記に書かれています。


 十六羅漢は 、1864(元治元)年、近隣の吹浦海禅寺の21代寛海和尚が、仏教の隆盛と衆生の救済を願って、あるいは落命した漁師の供養と海上安全を願って、造佛を発願し、地元の石工を集め、5年の歳月をかけて、1868(明治元)年に完成させた22体の磨崖仏です。(十六羅漢の他に4体の仏像があります。)寛海和尚は、造佛のための費用を工面するため、近隣在郷の協力のみならず酒田方面まで托鉢を行い資金を集めたとのことです。

 駐車場が分かりにくいです。国道345号線から左折して、県道210号線に入り込んだところの右側に「サンセット十六羅漢」へ行く道が分かれています。駐車場から国道を歩道橋で渡ると十六羅漢岩に出られます。

十六羅漢

 そこから遊歩道を吹浦漁港の方に辿っていくと、芭蕉の句碑と二見浦に準えた出羽二見という岩があります。芭蕉の句「あつみ山 吹浦かけて 夕涼み」は、象潟からの帰路、海上を行く船の上で詠んだもののようです。庄内砂丘の向こうにあつみ山が見えたのでしょう。

出羽二見

庄内砂丘方面

 


6 東酒田

 車を返す時間が迫ってきました。後はこのまま、東酒田のニコレンの営業所に戻ります。国道7号線に戻り、庄内砂丘の上を南下します。ちなみに庄内砂丘は、北は吹浦から、南は鶴岡市の湯野浜まで35㎞に及び庄内平野の西側を閉ざしている砂丘で、最も高いところで標高100mを超えるところもある日本有数の砂丘です。

 その割には、有名でないですね。

 冬季は日本海から強風が吹くことが多いため、古来より飛砂に悩まされてきました。そのため江戸時代から防砂林の植林が進められてきています。また、砂地を利用してスイカやメロンの栽培が盛んです。

 酒田北港付近からは田園地帯に入り、酒田市東部の市街地を抜けて営業所に到着しました。少し余裕があったので、ゆっくりと東酒田駅まで歩きました。ひたすら田んぼかと思っいましたが、よくみるとところどころ枝豆の畑となっています。この辺りの特産品「だだちゃ豆」です。また、田んぼにはブランド米「つや姫」の表示がなされていました。

 東酒田駅では、黄色の車体の「特急いなほ」が通過していきました。その後、羽越本線普通列車が入線。GV-E400系という黒い顔の気動車で、ディーゼルエンジンで発電してモーターで走るタイプです。

東酒田駅に入線する羽越本線GV-400系

  30分ほどで鶴岡駅に到着しました。鶴岡駅はモダンな建物で、駅前は現代的な建物が並んでいます。

 駅近くにある次の宿舎の「ステイイン山王プラザ」に向かいました。

鶴岡駅

ステイイン山王プラザ