2020(令和2)年8月6日(木) 曇り
2日目。本日は、朝から三陸鉄道に乗り、宮古市まで行きます。そして、三陸海岸の景勝地の1つである浄土ヶ浜を見物し、その他宮古市内を見物してそこで一泊という予定です。
釜石市を訪れたかったのですが、時間の関係でパスします。次回のお楽しみです。
天気がよければ、青い海が見られるはずですが、生憎の曇り空です。
毎回のお断りですが、2020年8月時点での記録です。復興が進んでいるため、2025年6月現在では、状況が変わっているところがあると思います。気がついたところは追記します。現地に行かないとわからないこともあると思うので悪しからず、ご了承ください。
目次
1 三陸鉄道
本日から、あこがれの「三鉄」の旅です。期待に胸が膨らみます。
三陸鉄道は、1984(昭和59)年に盛〜釜石間を南リアス線、久慈〜宮古間を北リアス線として開業した日本で最初の第三セクターの鉄道会社です。
釜石〜宮古間はJR東日本の山田線が通っていました。南北リアス線は、2011(平成23)年の東日本大震災の津波により、山田線を含め、大きな被害を受けました。そして、2019(平成31)年に、釜石〜宮古間がJRから移管され、北リアス線と南リアス線が1本につながり、盛〜久慈を縦貫する三陸鉄道リアス線として開業することとなりました。
三陸鉄道については以下のHPを参照してください。
ホテルで早めの朝食を済ませ、大船渡駅からBRTで盛駅へ。少し時間があったので辺りを散策した後、いよいよ三鉄の旅が始まります。
ホームに入ってきたのは36-716型車両、山田線の移管に伴って増設された車両の1つです。

三鉄は、盛駅を発車すると少しBRTと併走した後、左側に分かれて行きます。盛川を渡り、陸前赤崎、綾里(りょうり)と進んで行きます。
駅には、正式な駅名の他にニックネームがつけられています。例えば赤崎は「貝塚巡り」、綾里は「綾姫の里」です。
(追記:2025年6月)
2025年2月26日に発生した大船渡市の大規模な森林火災は、この付近より南側の半島部分で延焼が進みました。4月7日にようやく鎮火が宣言されました。消失面積は2900haにも及びました。被害に遭われた方、本当にお気の毒です。

次の「愛の磯部」恋し浜駅は、もとは「小石浜」という駅名でしたが、地元の名物「恋し浜ホタテ」に因んで改称しました。待合室にはホタテの貝殻を使った恋愛成就の絵馬が吊されています。


2 越喜来(おきらい)湾〜吉浜湾
恋し浜駅からトンネルに入り、抜けると甫嶺(ほれい)駅です。右手には越喜来湾が広がっています。

次が三陸駅です。ここは、大船渡と合併する前は三陸町でした。北里大学の海洋生命科学部が、もとはここにありました。大震災の津波でキャンパスは全壊し、その後、相模原に移りました。また、泊漁港には東北大学の地震観測所もあります。そこで、三陸駅のニックネームは「科学の光」です。
越喜来地区は津波で大きな被害がありましたが、現在は防潮堤と道路の整備が進み、建物が建ち始めています。
ここからトンネンルを抜けると、次は、吉浜湾です。当地は、明治の三陸沖地震による津波被害のときに全村が高台に移転したそうです。そのため、被害が少なかったという場所です。
3 唐丹(とうに)湾〜平田(へいた)
吉浜駅からトンネルを抜けると次は唐丹(とうに)駅です。ここはもう釜石市の行政区に入ります。右手には唐丹湾が見えます。

駅を越えると片岸川を渡りますが、この辺りの川には、サケが遡上するということです。
この先の長いトンネルを抜けると次は平田(へいた)駅です。ここからは、釜石大観音の後ろ姿が見えます。その先、短いトンネルを抜けるといよいよ釜石の市街地が見えてきます。
釜石駅に至るまでには、線路敷設の苦労が見て取れます。まず赤いトラス橋で一旦甲子川(かつしがわ)を渡り、直ぐ左カーブして甲子川に沿うように進みます。更に左カーブをして赤い4つのトラスを連ねた橋で甲子川を斜めに渡り、そしてやっと釜石駅に着きます。

4 釜石市
釜石市は日本の近代製鉄発祥の地で、かつては9万の人口を有しましたが、現在は3万3千人程度です。
製鉄発祥の地である橋野高炉跡は、世界遺産となっています。
また、新日鐡釜石ラグピー部は1978〜1984年まで日本選手権7連覇という偉業を成し遂げ、その中で、松尾雄治というスター選手を生みました。
現在、新日鐵釜石ラグビー部OB有志を中心として「スクラム釜石」を結成して、復興支援等に取り組んでいるとのことです。
そのほか、釜石市は、世界三大漁場を目前として、水産業も盛んです。

5 大槌(おおつち)〜吉里吉里(きりきり)
釜石から2つ目の鵜住居(うのすまい)駅周辺は、津波で壊滅し、現在新しい街を造成中です。
「津波てんでんこ」教育を受けてきた児童生徒達が、海抜10mの福祉施設から海抜30mの介護施設へ避難し、全員命を取り留めました。「釜石の奇跡」と呼ばれています。

鵜住居からトンネルを抜けると大槌です。
ここ大槌町も壊滅的な被害を受けました。災害対策のために町役場に参集した町職員を津波が襲い、加藤宏暉町長以下、町幹部が死亡しています。また、赤浜地区の岩手造船所定期点検中だった釜石市の観光船「はまゆり」が津波にさらわれ、150m北の民宿の屋根の上に漂着しました。
同じ赤浜地区には東京大学海洋研究所の研究施設がありますが、津波で壊滅し、現在、代替施設で研究教育活動を続けているとのことです。
また、その沖には、「ひょっこりひょうたん島」のモデルになったといわれている「蓬莱島」があります。
その次の駅は吉里吉里駅です。井上ひさし作のベストセラー小説「吉里吉里人」では、東北線沿線で宮城県と岩手県の境付近にある「吉里吉里村」が独立宣言をしますが、それにあやかり、町おこしの一環として、この吉里吉里も独立国宣言をして、ブームの火付け役となりました。
「キリキリ」とは、アイヌ語で白い砂浜を意味し、また、歩くと砂が「キリキリ」音を立てるためこの名前になったとのことです。

6 陸中山田
山田町を出ると大きな重茂(おもえ)半島の付け根部分の山を越えます。越えたところが豊間根(とよまね)、次が払川(はらいがわ)、そして津軽石です。
津軽石が深く内陸に食い込んだ宮古湾の最深部にあたります。ここからは、宮古湾に沿って北上します。
高浜の先の磯鶏(そけい)駅は宮古市の市街地の中であり、東側に宮古港のフェリーターミナルがあります。

ここからは、室蘭へ向かうフェリーが就航していましが、採算が取れず、2020年3月をもって休航となっています。これは、厚生労働省のトラック運転手に対する労働条件基準が変わったため、八戸〜室蘭航路の利便性が高まり、八戸〜室蘭航路に客を奪われたためのようです。
宮古は、盛岡から遠く、また、宮古へ入る道路もそれほど便利ではないため、フェリーは厳しいのではないかと思います。
磯鶏駅を出ると閉伊(へい)川を渡り、宮古駅に着きます。
7 宮古市
ホームの左手には、三鉄のイベント用の車両が停まっています。宮古は三鉄の拠点の一つです。

宮古駅のホームからは、新しい市役所の建物がよく見えます。駅前は、町並みは古いのですが、わりと賑わっています。
JRの宮古駅の駅舎は時代を感じさせるものです。その右手に三鉄の駅舎があり、その間には「さんてつや」という三鉄グッズを売る店があります。


駅右手の観光案内所で自転車を借ります。ここは無料です。自転車はずっと右手の駐車場の奥にある自転車置き場にあるということです。キーをもらって「オレンジチャリ2」という看板がついた自転車を借りました。
宮古市は、人口5万1千人、漁業と観光の町です。2010年の川合村編入により、面積が岩手県で一番広い自治体となりました。岩手県の太平洋沿岸部では、最も多数の人口を有する自治体です。
盛岡から100㎞以上離れているため、北上盆地地域とのつながりは薄いと思われます。大船渡が大船渡湾の最深部に位置しているのに対し、宮古は、宮古湾の入口に位置しています。
市域の東に陸中海岸では最大の重茂半島があり、その中にある魹ヶ崎(とどがさき)は、本州の最東端です。東日本大震災の津波では、市の中心部は被害を免れましたが沿岸部は壊滅的な被害を受けました。
8 浄土ヶ浜
ホテルで荷物を置いて、はじめに向かったのは、三陸海岸きっての名勝地「浄土ヶ浜」です。流紋岩の白い岩肌が美しく、また、水もきれいで、環境省が認定した「快水浴場百選」にも選ばれている「まるで浄土の如し」と言われる海岸です。
東に向かい、国道45号線に出て、宮古市魚市場から北へ向かい港町の岸壁に出てみます。防潮堤が至るところ工事中ですが、ボートのような小さな漁船が多数引き上げられており、まずまずの活況を呈しています。
港町を過ぎると右折して、宮古湾に突き出した半島部に入ります。急な坂を登ると浄土が浜の駐車場があります。
その奧にビジターセンターがあり、隣に浄土ヶ浜の遊覧船の発券所があります。

11:00の発船まで少し時間があるので、ビジターセンターをのぞき、そのあと、海岸へ降りてトンネルを抜け、マリンハウスの方へいってみます。

生憎の天気で、海は灰色。天気がよければもっと美しい海が見えたのでしょう。

検温の後、遊覧船に乗りこみます。船の後端部のデッキに居場所を確保しましたが、デッキの屋根にはカモメかウミネコのような鳥が数羽とりついています。船員が乗客にパンのようなものを配っています。鳥のエサなのでしょうか。

いよいよ出発です。船は湾を出て、浄土ヶ浜の外側の海へ出て行き、浄土ヶ浜の正面の岩山の後ろ側を北へ向かって進みます。思った通り、鳥たちが船にくっついてきてエサをねだっています。

船は、砂島と大沢海岸の脇を進みます。ここにはローソク岩という縦に長い、特徴的な岩があります。


海岸と日出島という島の間を通って姉ヶ崎の脇まで行き、そこでUターンして引き返して来ます。海上にはガスが立ち上り、水平線も見えません。風が冷たく、半袖半ズボンでは寒いくらいです。


(追記:2025年6月)
「みやこ浄土ヶ浜遊覧船」は、2021年をもって運行を終了しているようです。
「宮古うみねこ丸」は、令和4年から運行を始めたようです。また、「ざっぱ船」という小さな漁船での遊覧は運行中のようです。
下船して、マリンハウスの前を通り過ぎ、浄土ヶ浜の核心部に行きます。ここは、海水浴場となっており、新型コロナの影響でいつもより少ないのだと思いますが、家族連れが海水浴を楽しんでいました。


天気のせいでしょうか、ややぱっとしない景色ですが、確かに水はきれいです。また、正面の流紋岩のギザギザの岩も美しい。
見つけられなかったのですが、宮古湾海戦の碑があるはずです。宮古湾海戦は、明治2年に行われた新政府軍と幕府軍との海戦で、日本最初の近代的な海戦と言われています。
レストハウスで食事をとり、ビジターセンターへ引き返します。
ビジターセンターの展示をよく見た後、南側の館ヶ崎(たてがさき)展望所と竜神崎展望所をめぐる遊歩道を歩きます。館ヶ崎では、浄土ヶ浜を上から見下ろす景色を見ることができました。また、竜神崎からは、宮古市街や魚市場がよく見えました。


9 宮古市内散策
その後は、浄土ヶ浜を後にして、魚市場へ向かいます。大きな魚市場です。気仙沼より少し大きいでしょうか。そして、その南側には道の駅「なあど」があります。魚介類を販売していますが、客はそれほど多くないようです。

その後は、藤原埠頭の方へ行ってみます。道がよく分からなかったのですが、何とか宮古橋で閉伊川(へいがわ)を渡ることができました。宮古駅に着く前に渡った三鉄の鉄橋が見えます。
そして、その向こうには巨大な煙突が見えます。「ラサの大煙突」と呼ばれています。巨大な上に閉伊川を見下ろす丘陵の上にあるので、市内の至る所から見ることができます。いささか不気味です。

「ラサの大煙突」は、昭和14年につくられたラサ工業(株)宮古工場精錬所の煙突で、高さ160mで、根本の直径が10mあるそうです。太平洋戦争末期、度重なる空襲にも耐えて残ったということです。宮古工場は操業を止めていますが、ラサ工業自体は現在も化成品、機械電子材料を生産しているそうです。
そのあと、「なあど」の対岸に飛び出した藤原埠頭に行こうと思ったのですが、立ち入り禁止区域となっており断念しました。

「大通」というのが、もともとの繁華街なのでしょうか。昭和の香りがする商店街があります。中心街は、津波の被害はそれほどでもなかったようです。
駅前に出て三鉄のグッズショップ「さんてつや」で田野畑駅のキーホルダーを買いました。製造しているのが「赤い電車」という名前の会社なのが気になって後で調べたら、京急の駅キーホルダーをつくっている会社でした。京急だけでなく、いろいろな鉄道会社の関連グッズをつくっているようです。


西に行ってキャトルという商業施設に行きます。その前には「鉄道の歴史広場」というのが設置してあり、鉄道開通記念碑、超我の碑、蒸気機関車の動輪などが設置されています。

「超我の碑」というのは昭和19年、山田線で起こった脱線転覆事故で瀕死の重傷を負いながらも、職務を全うしようとした機関士を顕彰したものです。
さらに西へ行って、山田線と三鉄が分かれるところまで、行ってみました。その後は、そろそろ疲労感も出てきたので、自転車を返して、ホテルへ戻りました。
(追記:2025年6月)
商業施設のキャトルは、残念ながら2021年12月をもって閉店となりました。建物は令和7年に解体されることになっています。(Googleマップを見る限り、まだ、解体されていないようですが、現時点でどうなっているのでしょう?)
宮古市は、落ち着いていて、何か余裕と重厚さを感じる街でした。豊かな漁業資源と観光資源に恵まれ、三陸の中心地としての誇りと伝統を引き継いでいるのでしょう。
また、三鉄は、海岸線に迫る山地を縫うように走り、時に深い谷も渡って行きます。復興には非常に大きな苦労を伴ったのではないかと思います。しかし、三鉄の存在自体が地域に活力をもたらしていることが実感できました。
明日も、三鉄の旅は続きます。

