ごまめの旅日記

街道等の歩き旅を中心に旅の記録を紹介します。

水戸街道を歩く 2 亀有駅〜柏駅

 

歩いた日 令和6年4月29日(月)

 大型連休。天気も良く、本日は亀有駅から柏市まで歩きました。

 このところ夕方ランニングをしているためか、左脚がひきつっているので、無理をせず、松戸から馬橋までは電車を利用し、休憩がてら距離を稼ぎぐことにしました。

 早朝に家を出て、常磐線亀有駅へ。左脚の動きがギグシャクしています。天気は良いが、晴れない気分で両さんフィギュア前をスタートします。

中川橋

 休日の朝、午前8時亀有駅の南口を出て、「ゆうろーど」という狭い商店街の道を南下し、都道467号に出ます。ここを西に進むのが水戸街道です。「アリオ亀有」の脇を抜けて進み、中川にかかる中川橋を渡ります。かつては「新宿のわたし」という渡し船で渡っていましたが、明治になり橋が架けられました。当初は通行料が取られ、賃取橋とも呼ばれたらしいです。その後、鉄道敷設の計画が持ち上がったとき、新宿(にいじゅく)の住民が、通行料が取れなくなるのを嫌って、敷設に反対したらしいです。そのため、現在の常磐線は亀有から金町を通ることになりました。橋を渡ってすぐ新宿小学校西交差点を右折し、都道を離れます。ここからが水戸街道1つ目の宿の新宿です。

                   中川橋

 

新宿(にいじゅく)

 新宿は全体が大きな枡形になっています。小さな宿で本陣はなかったらしいです。しかし、明治の頃は商店が軒を連ね、賑わっていたとのことです。鉄道駅を誘致しなかったためか、現在は静かな街並みです。

 南に詰めると直角に左に曲がる。右手の山王保育園には大正から昭和期に活躍した実業家・政治家の中島守利(なかしまもりとし)の銅像が立っています。曲がらずに細い道を直進すると新宿日枝神社があります。

 街道に戻って西へ進むと丁字路になります。右に行って国道6号線に出たところに水戸街道石橋供養道標があります。佐倉道はここから小岩の渡しの方へ向かいます。有名な「矢切の渡し」は水戸街道の渡しだと思っていましたが、そうではなく、江戸初期の同時期に整備された江戸川を渡る渡しの1つのようです。

 水戸街道はここを左に行き、狭い道を抜けて車道に出ます。左手からくる都道467号と合流し、すぐに右手斜めに分かれます。ここには、石仏等が並んでいますが、右端に帝釈道の道標があります。ここから右斜めに分かれていくのが柴又の帝釈天に通じる帝釈道です。

 

 新宿の様子

    石橋供養道標

金町(かなまち)

 街道を行くと金町駅新小岩駅を結ぶ新金貨物線の踏切があります。その先で街道は金町地区に入り、国道6号線と並行して進みます。その先で、街道は国道と合流します。国道は高架になっており、江戸川を越える新葛飾橋へと向かいます。下道は江戸川左岸を三郷の方へ向かう都道471号線です。その先で京成金町線の線路を越えます。

葛西神社

 街道は三郷の方へ向かい、常磐線をくぐってから斜め右に分かれます。その先には葛西神社があります。この神社は平安時代の末期、1185(元暦2)年に領主葛西三郎清重の篤信により上葛西、下葛西あわせて三十三郷の総鎮守として下総国香取神宮の分霊を祀ったものです。境内は広くありませんが、数本の巨木があり、中でも大銀杏は天然記念物に指定されています。

葛西神社

 

江戸川を渡る

 先に進むと街道は江戸川の堤防に突き当たります。江戸時代はこのような立派な堤防ではなかったと思いますが、堤防の上を上流方向に進みます。行く手には東京外郭環状道路の高架があります。その上流にも都道54号線の葛飾橋があります。それを越えたところに小合溜(こあいだめ)の末端部があります。これは江戸時代に古利根川を堰き止めて作ったもので、西へたどっていくと、大きな溜井となっており、その周囲は水元公園になっています。その小合溜の末端部に金町関所跡之記という石碑があります。ここにはかつて水戸街道金町関所が置かれていました。街道はこのあたりで江戸川を渡り、対岸の松戸宿に向かっていました。

 葛飾橋に戻り、江戸川を渡ります。対岸は松戸市です。

 葛飾橋西詰

松戸市

 松戸市は、人口50万人を擁する千葉県で3番目に人口の多い都市です。近年は東京のベッドタウンとして発展しています。市域の大部分は下総台地の上にあり、そこは、江戸時代は「中野牧」と呼ばれる馬の放牧地だったそうです。

松戸宿

 堤防の上を行くと、堤防の下に「是より御料松戸宿の碑」があります。ここから河道に進んだあたりが渡船場だったと思われます。街道は、そこから東へ行き、県道5号線に出て北上します。東を向くと、線路の向こう側の丘の上に水戸藩主の別邸だった徳川家戸定邸(とじょうてい)の跡があります。

 北上して、宮前町交差点の左手の煉瓦色のマンションが建っているところが本陣跡です。その先右手に松戸神社の鳥居があります。鳥居を入って、赤い欄干の潜龍橋で坂川を渡ると松戸神社があります。松戸神社は、1626(寛永3)年の創建とされ、江戸時代には水戸徳川家の崇拝を受けたとのことです。 県道に戻って北上すると松戸市中心市街地となります。休日で、多くの人で賑わっていました。

 

 

  本陣跡の説明

     松戸神社

 本日は、足の具合が良くないので、松戸駅から常磐線で馬橋(まばし)駅まで行くことにしました。常磐線で移動しましたが、歩くべき水戸街道は下のようになっています。

馬橋

 松戸〜馬橋間の水戸街道は、ほぼ常磐線と並行しています。北松戸駅の南からは、国道6号線に合流して進み、馬橋駅の南側からは、国道を離れて馬橋駅に近づいて行きます。

 「馬橋(まばし)」の地名は、現在の馬橋駅付近で水戸街道が渡っていた長津川の橋を、鎌倉時代に良観上人が馬の鞍の形の橋をかけたところ、水害で橋が流されることがなくなったという伝説にちなんでいるそうです。

 馬橋駅からは、流山市街地に向かう流鉄流山線が分岐しています。1916(大正5)年に開業した流山軽便鉄道が前身です。

万満寺

 馬橋駅の先の左手には万満寺(まんまんじ)という立派な寺院があります。1256(建長8)年に下総国守護千葉賴胤が、現在の千葉市稲毛区大日寺を創建。その後、千葉満胤が臨済宗の寺院「万満寺」として再興。1537(天文6)年に松戸を拠点とする国衆・高城氏が現地に寺領を寄進したものです。街道から寺域に入ると正面に、軒を大きく張り出した山門と鐘楼が見えます。その奥には仁王門。門を入ると本堂の前に大きな灯籠が置かれています。

 

 

    山門と鐘楼

  灯籠と本堂

 

カーブの先は江戸見坂という登りになります。高低差10mほどの坂を登って下総台地の上に出ます。その先の八ケ崎(はちがさき)交差点で街道は国道6号線と合流します。

 6号線の両側は、郊外型大型店舗が連なっていて、右手の安楽亭の先のマンションの前に一里塚跡の標柱が建っています。

 国道は緩く登り、トイザらスジョーシンのあたりが最も高くなります。その先の交差点の左手のやや高くなった丘の上に蘇羽鷹(そばたか)神社があります。ここは、もとは千葉氏が築いた馬橋城があった場所とのことです。

 街道はここで国道から右手に離れ、大坂を下って行きます。予想外に急な下りです。下り坂の上を武蔵野線の高架が通り抜けています。さらに醤油壺坂を下り、下り切ると次は和尚坂を登ります。右手の台地の上は、かつての中野牧ですが、今は現代的な住宅団地となっています。馬の放牧地が大規模な住宅団地へと変わっています。

 

一里塚跡の標柱

  和尚坂東側の住宅地

小金宿

 坂を登り切ったところで、国道6号線と交差します。この先は小金宿通りと呼ばれています。すぐに水戸街道3つ目の宿である小金宿に入ります。

一月寺

 交差点から200mほど行くと左手に日蓮宗一月寺(いちがつじ)があります。ここは、江戸時代に普化宗(ふけしゅう)の総本山として栄えた一月寺(いちげつじ)の跡地です。普化宗は明治初めに解体され、今は日蓮宗の寺院となっています。

 さらに北上すると左手に「玉屋」という旅籠の建物が残っています。江戸末期に建てられ、100年の間、住宅として使われていたとのことです。

 さらに北上して「ほんだ歯科医院」がある信号の手前右手が問屋場跡です。その先の左手の駐車場あたりに水戸藩専用の宿泊所「小金御殿」があったようです。水戸藩主は江戸に定住し、参勤交代はなかったのですが、家臣は江戸と水戸を頻繁に往来する必要があったため、専用の宿泊所が設けられていたようです。

 そこから道一本隔てた梅澤家に明治天皇小金宿御小休所の石碑があるとのことですが見えません。ここも宿泊所の一部だったのか、あるいは別の旅籠があったのか不明です。

 斜向かいの中村酒店(現在は営業していないようですが)の手前の路地を入ったところに小金宿本陣跡があります。残念ながら気づかずに通り過ぎてしましました。

 さらに北へ進むと左手に東漸寺(とうぜんじ)の入口があります。その向かいのヘアサロンTommy Frogあたりが脇本陣跡です。

東漸寺

 東漸寺は、1481(文明13)年に根木内に開創された寺院で、天文年間(1532〜1555)年間に現地に移り、江戸期には関東十八檀林の1つとなった名刹です。明治になり、衰退しましたが、第2次世界大戦後、徐々に復興し、その寺勢を現代に伝えています。東漸寺の境内は、深い森になっていて、きっと地域の人たちの憩いの場所となっていることでしょう。

 

  仁王門

    本堂

マツモトキヨシ創業の地

 さらに北上すると北小金駅入口交差点があり、水戸街道はここで右折して東に向かいます。交差点には小金宿のモニュメントと説明板があります。また、その後ろのMY黄金ビルの前には「マツモトキヨシ創業の地」の説明板があります。マツモトキヨシは、この地(本来の創業地は道を隔てた現在の小金店の場所か)で「松本薬舗」として創業しました。創業者は「松本清」。いち早くアメリカのドラッグストアの方式を採用し、病気になったら行く「薬局」のイメージを覆し、現在のドラッグストア隆盛の基を作りました。

 交差点を右折した左手、現在の複合ビル「ピコティ」のある場所には、かつて八坂神社があったそうです。ピコティ前には石碑があります。

 県道280号線を東に進むと町名が「きよしヶ丘」になります。これは、創業の後に松戸市長になった松本清さんが命名したとのことです。松戸市におけるマツモトキヨシの影響力はすごいですね。

 

マツモトキヨシ創業の地の説明板

   小金宿のモニュメント

根木内・中新宿・向小金

 そのまま県道を進むと根木内(ねぎうち)地内に入り、やや下って国道6号線と根木内交差点で交差します。左手にこんもりした森が見えます。根木内城の跡です。1460年頃、高城氏により築城されたもので、1537(天文6)年に小金城に移るまで高城氏の拠点でした。縄張りは国道6号線により分断されていますが、南東部は歴史公園として残されています。

 街道は西の下坂を一旦登り、馬の背を越えてから下って富士川を渡ります。そこからまた登りになり、柏市中新宿地内に入ります。

 その先は一旦、流山市に入り、向小金(むかいこがね)地区となります。地図を見ると確かに小金台地から谷を隔てた場所にあります。スーパー・ベルクスの先、向小金福祉会館入口交差点の角に香取神社があり、その境内に一里塚跡の石碑が建っています。県道は狭いのですが交通量が多いです。住宅が密集している感じです。

 その先は柏市に戻り、今谷(いまや)地区に入ります。向小金も今谷も江戸時代に新田が開拓された土地です。その先に南柏駅があります。

 

  根木内交差点 奥の森が根木内城跡

       香取神社境内の一里塚碑

 

 

柏市

 南柏駅前は現代的なビルが立ち並び、活況を呈しています。この辺りからは、柏市の市街地となります。

 柏市は人口約43万人で、千葉県では第5位です。水戸街道より北の地域は、江戸時代は小金牧の一部である高田台牧、上野牧でした。明治になると元士族の入植が始まり、「豊四季(とよしき)」の4は4番目に「十余二(とよふた)」は12番目に入植した場所ということだそうです。常磐線の駅ができ、北総鉄道(現在の東武野田線)ができてから発展が始まり、駅前には、そごう、高島屋、丸井などの百貨店が進出しました。現在は、柏駅を中心に商圏を形成していて、非常に賑わっています。

 さらに進むと常磐線の向こうにイオンモールがあります。柏の商店街には、イオンに客を奪われない強さがあるようです。その先の富里では、東武線のガードを潜って進みます。

 商店街を進むと右手に柏神社があります。柏神社は1660(万治3)年創建の羽黒神社と1661(寛文元)年創建の八坂神社を合祀した神社です。境内には銀杏の巨木があります。

 

 

   柏市中央付近の商店街

 柏神社

 柏神社がある交差点を左折していくと柏駅があります。先に進むと古風な産婦人科の巻石堂(けんせきどう)病院があります。1937(昭和12)年に松ヶ崎から現地に移ってきたのが始まりとのことです。巻石堂病院がある交差点の斜向かい、現在は立体駐車場になっているところには、柏村の名主であった寺嶋家の邸宅「摘翠軒(てきすいけん)」がありました。摘翠軒は文人や芸術家などが集うサロンのようなものだったようです。1880(明治13)年の明治天皇行幸の際、明治天皇がここで小休したとのことで、駐車場の前に明治天皇御小休所跡の石碑が建っています。

 本日の旅はここまでとします。柏駅に向かい、帰宅します。時刻は13:20

旅の記録

スタート 常磐線亀有駅  8:00

ゴール  常磐線柏駅   13:20

歩いた道のり       約18km 

  (松戸駅から馬橋駅まで普通に歩くとプラス4kmほどになると思います。)

 

柏市についてさらに詳しく

 1896(明治29)年に日本鉄道土浦線(現在のJR常磐線)が開通した当時、水戸街道の宿駅があった松戸や我孫子に駅ができたことは当然として、寒村(失礼!)に過ぎなかった柏村に駅ができたのは、寺嶋家などの有力者が誘致に努めたことと、開拓途中の土地で、土地買収が易しかったことによるものである。駅は当時の千代田村の字である柏と豊四季村の間に造られ「柏駅」と名乗った。発展したのは常磐線が電化された戦後からである。1955(昭和30)年12月には駅前から本町通にかけて大火が発生し、多くの商店が焼けた。その後、耐火建築の駅前商店街が造られたとのこと。駅東口には、全国に先駆けて造られたベデストリアンデッキがある。デッキの南側に丸井のビルがあり、東側に現在はビッグカメラが入っているスカイプラザがある。北側に円盤状のスカイレストランを備えた「そごう」のビルがあるが、2016年9月に撤退している。全国的なデパート沈滞の波がここにも現れているようだ。西口には高島屋ステーションモールがある。しかし、西口は古い店舗が多く、再開発が期待されているとのことである。

 

柏駅東口(ベデストリアンデッキ上から)

    正面がそごう跡 右がスカイプラザ