「街道歩き旅」の楽しみを数回に分けて述べたいと思います。
第1回は、やや、小難しい内容となりますが、
そもそも「旅とは何か」について考察したいと思います。
1 行き帰りの道程も「旅」
現代の旅は、クルマ、列車、航空機などを使って、目的地まで到達し、目的地で用務を行ったり、楽しんだりするのが主流だと思います。
目的地に着くまでは余計な時間で、できるだけ短時間の方がよいと考えています。(クルマの場合、経由地で楽しむ場合もありますが)
しかし、「旅」とは本来、目的地に着くまで、また、目的地から帰宅するまでの道程も含んでいたのではないでしょうか。道程そのものが旅の楽しみ(あるいは苦しみ)だったのではないかと思います。
江戸時代のベストセラー 十返舎一九の「東海道中膝栗毛」では、主人公の弥次さん喜多さんがお伊勢参りに行くその道中で、様々なことを経験し、それが旅の楽しみとなっています。少なくとも、江戸時代に流行した行楽のための旅は、このようなものだったのでしょう。
「東海道中膝栗毛」は、もちろん徒歩で日本橋から伊勢へ向かったわけですが、1日の歩行距離はだいたい十里(40km)程度で、日本橋から名古屋の手前の宮宿まで約350kmを10日で歩いています。現代では、東海道新幹線で東京〜名古屋間は約1時間半です。江戸時代から見ると、東海道新幹線はほとんど「どこでもドア」です。
新幹線では、道中の楽しみといえば、「海が見えた」「富士山が見えた」程度ではないでしょうか。弥次さん喜多さんとは、ずいぶん違います。
この、江戸時代の行楽のための旅のように、目的地で何かをするのではなく、目的地に行くまでの道程を楽しむことを目的とするのが「旧街道歩き旅」の真髄です。
2 地域を線で捉える
クルマや列車の旅では、目的地については、様々なことを知り、体験し、理解することができるでしょうが、その途中については、よくわかりません。しかし、街道を歩いて旅をすると、それに沿って、土地の様子を線で捉えることができます。
速さが大切だと思います。人間の認識には、徒歩くらいの速さがちょうどよい速さではないかと、実際に歩き旅をしてみて、そう感じます。
3 地域を立体的に理解する
現在の日本を理解することの一つは、現時点での地理的な広がりで理解することだと思います。しかし、全ての土地に歴史が積み重なっており、1つの地域を歴史的な広がりで理解することもできます。街道を歩きながら、いろいろと調べてみると、地域を、地理的な広がりと歴史的な広がりの両方で、立体的に捉えるという視点が持てるようになりました。これが、「旧街道歩き旅」の大きな成果です。
今回は、ここまでです。
次回は、旅の戦略について述べたいと思います。