令和6年は、昨年に続き記録的な猛暑で、9月になっても真夏日が続いていました。9月の末になり、秋雨前線が関東まで南下し、ようやく秋の気配が漂うようになりました。
今回の旅の1番の目的は五能線と秋田内陸縦貫鉄道の「乗り鉄」ですが、少しだけ羽州街道を歩くことにしました。
この日は、前回のゴールの土崎湊から追分駅まで歩きます。
秋田新幹線で秋田駅まで、そして男鹿線に乗り換えて土崎駅まで行き、今回の旅のスタートです。
目次
1 再び土崎湊
はじめに、土崎駅を出て、旧羽州街道に向かう途中の左手に土崎湊城跡があるので、そこを見学します。
城跡は現在、街区公園と土崎神明社となっています。土崎城の築城は不明ですが、明治期の資料には1436年に安倍康季が将軍野の北西に築城したとの記録があるそうです。佐竹氏が秋田に転封になったときは、この地に安東実季が大規模改修を行った後の湊城があったことは確実のようです。
神明社の鳥居を抜けて旧羽州街道に出ますが、そこを通り越して「土崎みなと歴史伝承館」に行ってみます。
伝承館の半分は、この地で行われる伝統行事「土崎港曳山まつり」に関する展示です。大きな曳山のレプリカがメインです。残りの半分は北前船で栄えた土崎湊の歴史に関する展示です。土崎湊は、雄物川河口に開けた天然の良港で、古くは平安時代の秋田城の船着場に始まり、日本海沿岸の舟運の拠点として発展し、三津七湊(さんしんしちそう)の1つに数えられました。江戸期には久保田藩の藩港として、また、北前船の寄港地として栄え、多くの商館が立ち並んでいたとのことです。
この後は、旧羽州街道に戻り、北へ向かいます。通り側には旧町名を示した標柱が建っています。少し行くと踏切があります。秋田貨物港線の踏切です。西へ行くと秋田港駅があります。基本的に貨物線ですが、秋田港フェリーターミナルに大型客船が入港するとき、不定期的に旅客列車が運行されることがあるそうです。
この先は、少し分かりにくいのですが、旧街道は左手の金坂自動車の板金工場の先を左折して細い道に入ります。そして、国道7号線を横断して住宅地を北西方向に進んでいきます。
2 飯島穀丁・川端
先に進むと飯島穀丁(いいじまこくちょう)に入ります。左手に雲祥院という寺院があり、向かいにはカラ松神社があります。少し先には穀丁神明社の新しい本殿があります。
少し進むと左手に穀丁阿弥陀堂があり、ここは一里塚跡でもあるようです。
道は次第に北に向きを変え、大浜通りを横断すると飯島川端地区に入ります。左手には新城川(しんじょうがわ)があります。
さらに行くと丁字路になります。旧街道はこの先で新城川を渡っていたと思われますが、橋がなくなっているので、丁字路を右折して国道7号線に出て、新城川橋で、新城川を渡ります。渡るとすぐ左折して旧街道に戻り、住宅街を北へ進みます。
3 堀川・中野
この先は、堀川そして下新城中野地区に入りますが、街道の両側は、土地が広い立派な住宅が並んでいます。
「障害者支援施設ほくと」の看板を過ぎて少し行くと左手の松の木の下に「中野浜砂防林の偉労者 中川六右衛門翁墓地案内」という立札があります。立札には以下のように書かれています。
「享保年間、当地一帯は日本海からの強風による大砂塵に襲われて農作物の全部が育たなかった。そこで、藩政の命を受けた当地の中川六右衛門翁が、荒廃する農地を保護する為に、大南北2,000間に及ぶ砂山に私財の全てを投じて黒松を植林し貧窮する農民を救済した」
中川六右衛門翁は、この先を左に入っていったところにある蛭子神社に祀られているとのことです。
さらに進むと、右手に保存樹鑑賞駐車場という看板がある。駐車場の隅に樹齢300年というイチイの古木が自生しています。
このあたりの左手に見える大きな建物は、秋田県立大学です。
そして、旧街道は国道7号線に合流します。合流してすぐ斜め左方向に男鹿街道が分かれて行きます。ここが羽州街道と男鹿街道の追分です。この先は、国道の左手は潟上市となります。右手は、秋田市の金足地区です。
国道を右折していくと追分駅があります。本日の街道の旅は、ここまでとします。
4 金足地区
この後は、追分駅から快速「しらかみ5号」に乗って、能代市へと向かい、能代市の探索を行う計画です。「しらかみ5号」が到着するまで、少し時間があるので、秋田県立博物館の方まで行ってみることにします。
線路沿いに北へ200mほど行くと踏切があります。線路を渡って東へ行くと「秋田県立金足(かなあし)農業高校」があります。
金足農高は、春3回、夏6回の甲子園出場経験があり、プロ野球選手も輩出する野球の名門校です。近年では、2018年夏の甲子園大会で「金農旋風」を巻き起こしました。全国から有力選手を集めて「英才教育」をしている私立の名門校が主流となっている現在の高校野球界の中で、金農は、公立校、かつ、レギュラー9人が秋田県出身というチームで甲子園大会に出てきました。金農ナインは「雑草軍団」と呼ばれ、全国屈指の私立の強豪校を次々と退け、決勝で、当時、高校野球界のトップに君臨していた大阪桐蔭高校と対戦するという「快挙」を成し遂げました。残念ながら、決勝では大阪桐蔭に敗れましたが、大いに話題となりました。
反面、報道のあり方や、ほとんど選手交代を行わない戦い方、特にエース吉田輝星(よしだこうせい)選手の酷使等の問題点が浮かび上がりました。
グラウンドを見ると、バックネットの角に「雑草軍団」と大きく書かれ、伝統を受け継ごうとしている様子がうかがえます。また、正門脇には、生徒の活躍を讃える展示物があります。展示から力士・豪風(たけかぜ)も本校出身であることを知りました。
さらに東へ進むと国道7号線があり、その向こうに秋田県立小泉潟公園があります。国道を越えると左手に男潟があります。思いのほか、よい風景が広がっています。そのまま進むと右手に秋田県立博物館があります。なかなか立派な建物です。
小泉潟公園には、この他に大型遊具、噴水公園、日本庭園の水心苑などが整備されています。
時間の関係で探索はここまで、来た道を戻り、追分駅に戻ります。
今回の街道旅はここまでです。
次回は、番外編で能代市について書きます。
旅の記録
スタート 秋田市土崎中央 11:15
歩いた道のり 約8km 歩いた時間 約1時間35分(休憩を含む)