ごまめの旅日記

街道等の歩き旅を中心に旅の記録を紹介します。

只見線に乗る 1 小出駅〜会津柳津駅

令和6年11月4日(月)  晴れ

 前回に引き続き、乗り鉄旅に出かけます。

 只見線は、ずっと前から乗ってみたい路線でした。冬や春先もいいなと思っていましたが、紅葉が始まるこの時期を選びました。本当はもう少し後の方が紅葉にはよかったのですが、宿と自分のスケジュールの関係でこの時期になりました。

 ローカル線に乗りに行くのは、興味が第一ですが、そのほかに、その路線や地方を支援するという意味もあります。がんばれ只見線

 

目次

 

 

1 北陸新幹線上越線小出駅

 北陸新幹線に乗るのは、2023年の夏以来。今回は、新幹線で浦佐まで行き、上越線に乗り換えて小出駅に向かいます。

 浦佐駅では、211系が来るのかなと思っていましたが、見慣れないE129系が来たのでちょっとびっくり。思えば、上越線に乗るのは20年ぶりです。

 

上越線 長岡行き普通列車

 小出駅で降りると、すでに只見線普通列車が、ホームで待機していました。さすがに、キハ40型ではなく、JR東日本標準気動車のキハ110型と、より新しいキハE120型(今ではこちらが標準型か)の2両編成です。

 写真撮影の後、車両に乗り込みます。休日で、好天に恵まれたためか、乗客が多く、座席は大方うまっていました。

只見線 只見行き普通列車

2 只見線について

 はじめに、只見線について記しておきます。

 只見線は、福島県会津若松駅を基点として、新潟県小出駅に至る全長135km、単線非電化の路線です。

 会津若松駅から会津坂下駅までは、まっすぐに進まずに、会津盆地の南方をU字型に迂回します。会津坂下からは山間部に入り、只見川の谷間に沿って上流へと向かいます。そして田子倉ダム付近から長大な六十里越(ろくじゅうりごえ)トンネルで県境を越え、破間川(あぶるまがわ)の谷に沿って下り、魚野川との合流点付近の小出駅に至ります。

 敷設は福島県側から始まり、1926年に会津線の名称で会津若松会津坂下間が開業。1941年までに会津宮下まで伸張しました。

 新潟県側は1942年に只見線として小出〜大白川間が開業しました。

 戦後は、田子倉ダム建設のため1956年に会津宮下会津川口間が開業。会津川口から只見駅を通ってダム建設現場までは電源開発株式会社の専用路線として敷設されました。ダム完成後は1963年に国鉄の路線として只見駅まで開業しました。

 新潟県側からは、1971年に大白川〜只見間が開通し、改めて只見線として会津若松〜小出間が全通しました。

 1972年には、旅客列車が気動車化され、1974年には、全線で蒸気機関車が廃止されました。1979年からはキハ40型が投入されました。

 その後は、豪雨や車両故障により、しばしば不通区間が生じ、復旧に多大な費用がかかり、また、赤字区間でもあるため、しばしば廃線の危機に瀕しましたが、冬季の福島〜新潟間の交通確保のために延命されてきました。しかし、2011年には、新潟・福島豪雨のため複数の橋梁が流出し、最大の危機を迎えました。

 この危機に際して、国と福島県、沿線の自治体、JR東日本らが協議を行ない、上下分離方式を採用し、復旧工事が行われ、2022年10月に、実に11年ぶりに全線で運転を再開することができました。

 

2012年7月に被災した第5只見川橋梁 wikipediaより

 沿線の自治体は「手を振ろう」条例を始め、観光開発など只見線の利活用を推進する運動を進めています。

tadami-line.jp

 NHKの「呑み鉄本線日本旅」のキャスターである六角精児さんは「只見線のうた」を作るなど、積極的に保護活動を行っています。

www.youtube.com

 

3 小出駅入広瀬駅

 9:15発の只見行き普通列車は、小出駅を出るとすぐ、魚野川を渡り、破間川が作った広い谷を北東に進みます。沿線は、ローカル線らしいのどかな風景が広がっています。この辺りは、まだ、紅葉のシーズンではないようです。

 また沿線には、私が勝手に「魚沼型住宅」と呼んでいる住宅がたくさんあります。「魚沼型住宅」というのは、冬の豪雪に対応するため、1階部分はコンクリート打ちっぱなしで、車庫や貯蔵室とし、その上に2階建てまたは、平家の住宅がのっている高床式住宅です。屋根は雪が滑り落ちやすいように、傾斜のきつい三角屋根または斜め屋根になっています。自治体から補助金が出ているのかもしれません。冬はコンクリートの部分は雪で埋まることになります。なるほど合理的です。

 

「魚沼型」住宅

 谷は次第に狭くなり、左手には須原スキー場がよく見えます。

 トンネルを抜けると入広瀬駅に到着します。この辺りは、守門岳の南西の比較的広い盆地となっており、かつては電源開発で賑わったと聞いています。1980年頃、山菜共和国をはじめ、積極的に村おこし行っていましたが、現在はどうなっているのでしょう。

 雪国観光会館と書かれた建物が駅舎のようです。


4 六十里越

 入広瀬駅を過ぎると、いよいよ山間部に分け入っていく感じとなります。次の大白川(おおしらかわ)駅は、無人駅ですが、新潟県側の拠点駅となっており、ここで列車交換が行われます。

 

大白川駅に停車中の只見線普通列車

 大白川駅の標高はだいたい300mで、最高地点の田子倉駅付近は標高510m。ここから200m登ることになります。

 この辺りは、周囲の木々が色づきはじめており、秋らしい風景が広がります。並行する国道252号線は、只見川が作るV字谷の中腹を走っていますが、長大なスノーシェッドに覆われている区間がたくさんあります。

 

色づき始めた渓谷の木々

 そして、全長6kmの六十里越(ろくじゅうりごえ)トンネルに入ります。列車の速度が遅いためか、とても長く感じられます。トンネルを出ると田子倉ダムが作る田子倉湖の北のはずれをかすめます。ここには秘境駅として知られた田子倉駅がありましたが、2013年に廃止となっています。建物は現存するようです。

 ここからは田子倉トンネルに入ります。トンネルを抜けると只見川と支流の伊南川が作る比較的広い谷に出ます。ここに只見町の市街地があります。

5 只見町探索 1 叶津番所

 列車は10:30ごろに終点の只見駅に到着。左手には要害山、右手には柴倉山が聳えています。

只見駅に到着

 

 この先は、12:48発の只見線満喫号まで待たなければなりません。2時間ほど時間があるので、駅前のインフォメーションセンターで自転車を借りて、叶津(かのうづ)番所只見ダムへ行ってみることにします。

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 駅前から国道252号、289号共用路線を北へ走ります。右手には、マッターホルンのような尖った三角の会津蒲生岳が見えてきます。また、前方に只見線が叶津川を渡るゆったりとカーブを描いた高架橋が見えてきます。その下を潜って行くと左手に叶津番所跡・旧長谷部家住宅の看板があります。そこを入ると集落の中に大きな古い民家があります。これが番所跡です。

 

会津蒲生岳

 

 旧長谷部家住宅は江戸時代後期に建てられたと推定される厩中門造りの豪農の屋敷です。厩中門造りとは母屋に厩中門とよばれる部分を付け出し、入口と厩、そして便所を配する形式です。突き出しの部分に入り口があるのが曲屋との違いです。雪国では半年間雪の中に閉じ込められるため、一つの家屋の中に、厩も含めて生活に必要なすべての部屋を入れこんだのです。

 旧長谷部家住宅は、桁行き24.35m、梁間10.15m(厩中門部は桁行6.7m、梁間6.3m)を誇り南会津地方では最大級です。

 長谷部家は代々叶津村の名主を勤めた家柄で、この村が「八十里越(はちじゅうりごえ)」と呼ばれる街道沿いの長岡藩と会津藩の藩境にあることから番所の業務を与えられました。奥座敷を上段の間として藩の役人など上役が利用出来るようになっています。

 ちなみに、越後〜会津間の交通は、古来より大白川〜只見間を通る六十里越と、吉ヶ平(三条市)〜只見間を通る八十里越がありましたが、現在、八十里越国道289号線は、一部通行不能で抜けることができません。

 戊辰戦争の際には、長岡の河井継之助八十里越を越えて只見に逃れてきましたが、傷が悪化し、大字塩沢で死去しました。

 旧長谷部家住宅は、座敷の縁側が屋内にあること、2階にも畳敷の座敷があること、屋根の小屋組が思ったほど頑丈そうでないなことが特徴だと思いました。また、母家部分は入母屋造りで二階には窓がありませんが、裏に回ると屋根の一部が切り取られて窓を作り、兜造りのように見える部分もあります。

 

叶津番所跡・旧長谷部家住宅

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 旧長谷部家住宅のすぐ近くに、1718年建築の農家建築である旧五十嵐家住宅があります。もとは上町にあったものをこちらに移築したとのことです。その際に、改築された部分は、元に戻したとのことです。江戸時代のこの地方の上農の住居様式がよくわかります。広い土間に囲炉裏があり、ここが生活と屋内の生産の場だったと思われます。奥には座敷があって、ここで寝ていたのかなと思います。梁には太い自然材を使っていますが、小屋組が雪国としては小作りになっているように感じます。

 

旧五十嵐家住宅

6 只見町探索 2 只見ダム

 次は、只見川沿いに南下して、只見ダムまで行きます。天気がよくて、自転車で走るのが気持ちいいです。また、川沿いの道は車通りが少なく、安心です。

 伊南川との合流点を過ぎて国道289号線を横断し、町営グラウンドを過ぎると公園の向こうにドーム状の「ただみ・ブナと川のミュージアム」が見えます。町下橋を過ぎると只見ダムが見えてきます。

 只見ダムは、1989年に、その奥にある田子倉ダムの逆調整池造成のために作られたダムのようです。ロックフィルダムで、中央に常時水を流している洪水吐(こうずいばき)と非常時に水を流すゲートがあります。現在は、右岸にある発電所で発電を行っています。

 ダムはそれほど大きくないですが、周囲が開け、雄大な景色になっています。ダムの上から上流を望むと、ダム湖の向こうに田子倉ダムが見えます。

 

只見ダムの洪水吐とゲート

 

ダム湖の向こうに田子倉ダム

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 この後は、来た道を国道まで戻り、只見駅に戻りました。

7 只見駅会津川口駅

 インフォメーションセンターに自転車を返して、昼食をとり、12:48発の只見線満喫号で、会津柳津を目指します。

 

只見線満喫号

 ここからは只見川に沿って会津盆地へと下って行くことになります。地形の関係で、右岸を通ったり左岸を通ったりするので、只見川を何度か渡ります。また、只見川に流れ込む支流を渡る橋があります。橋を渡る只見線の車両を撮影したいのですが、今回の旅では難しいです。いつかまた、撮影に来たいと思います。

 緩く大きく右カーブして叶津川を渡り、会津蒲生駅のすぐ北側には小型マッターホルン会津蒲生岳があります。次の会津塩沢は山塩の産地であるとともに、河井継之助の終焉の地です。線路脇に河井継之助記念館がありますが、列車からは確認はできませんでした。

只見川と第八只見川橋梁 緑のアーチは国道252号線

 その先、只見川が大きく南に蛇行するところは、トンネルでショートカットし、出たところの会津大塩には、天然炭酸水の井戸があります。日本で炭酸水が湧き出ているところは珍しいです。

 会津越川駅の手前には。東北電力伊南川発電所があります。只見川沿いにあるのに伊南川とは?と思ったら、遠く只見町坂田の伊南川から取水し、山中を貫く9.6kmにも及ぶ導水管を通して水を運びここで発電しているとのことです。

 この辺りの只見川は、いくつかのダムで仕切られているため、流れは穏やかです。

 会津越川駅を過ぎると、長いトンネルに入り、出るとすぐ只見川を渡ります。その左手には本名ダムがあります。豪快に水を吐き出していました。

 

本名ダム

damnet.or.jp

 本名駅の次は会津川口駅です。満喫号はここで初めて停車しますが、停車時間が30分あります。多くの人が下車して、列車の撮影をしたり、駅舎の中にある売店に入ったりしていました。

 会津川口は、金山(かねやま)町の中心駅です。野尻川との合流点にあたり、会津田島方面と繋がる交通の要所でもあります。金山町は「奥会津かねやま副業協同組合」を作って、積極的に移住者を受け入れているそうです。

会津川口駅に停車中の満喫号


8 会津川口駅会津柳津駅

 会津川口駅を出て、会津中川に向かいます。会津中川の先には、上田ダムがあるため、川の水は湖のように留まっています。

 その先の会津水沼から早戸にかけての南側は火山だったようで、沼沢湖というカルデラ湖があります。

 早戸駅周辺の只見川は、この下流にも宮下ダムがあるため、長い瀞となっています。ここには幻想的な川霧が発生するそうで「夢幻峡」と名付けられ、遊覧船があります。

 

夢幻峡

www.mugenkyo.info

 宮下ダム下流会津宮下駅は、三島町の中心部となります。駅の近くには只見川の支流の大谷川にかかる国道252号線と只見線と県道273の3つのアーチ橋が接近してかかっており、「宮下アーチ三兄弟」といわれているそうです。

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 その先、メルヘンチックな駅舎の会津桧原(ひのはら)を過ぎると、ちょっとの間只見川から離れ、滝谷川沿いの滝谷駅に至ります。滝谷川を上流へ上って行くと地熱発電所がある西山温泉があります。

 その先はまた、只見川沿いに戻って郷戸駅。この東側は郷戸と呼ばれる比較的広い平野が広がっています。

 そして、今晩の宿がある会津柳津駅に到着しました。

会津柳津駅


只見線に乗る 2 では、会津柳津の紹介をします。